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2017年8月11日 (金)

今年二回目のサンフランシスコ2

叔母がお世話になる施設は日本人が経営する大きな一軒家を改造したホームでした。
叔母は運良く一人部屋がちょうどあいたところでした。
叔母の家の少しの家具や身の回りの品を揃え、「これからはここでみなさんのと生活しましょうね」と所長さんに言われ「何で私は家があるのに、ここに住まないといけないの?家のバスルームより小さな部屋はいやだ」と・・・・
私も妹も開いた口がふさがらない!
有り難いことに所長さんは日本語がわからない人だったのでよかったけど、焦りました。
 
今思えばあの時は、入院のせいだったと思うのですが、認知症状が酷くって、何度も同じ事を繰り返します。
何度も話し、なんとか納得してもらって、人と話すのが大好きな叔母なのでなれるだろうと・・・(甘かった!永年一人暮らしの自由人の叔母には無理でした。)
 
そして、日本人の料理人で元はお店をしていたという食事担当の男の方が叔母をなだめてくれました。そこは、日本人が10名ぐらいの小規模な滞在型の施設でした。
私たちは、帰宅日が決まっていたので、叔母の家の片づけ、掃除をしながら妹と一週間、毎日施設へ通いました。
今でなら、叔母の自宅から、30分もかからなくて行けるとこですが、あの頃はフリーウェイが怖くって、倍近い時間をかけて命がけで(大げさ?ではない)迷いながら行っていました。
フリーウェイも降りたくないのに出口に誘導されたり、降りれなかったり、あの時の苦労があるので今はどの道も平気で日本のように走っています。
Burogu3
 
帰国して、二週間後、叔母が施設を抜け出して何度もタクシーを止めて自宅に帰ろうとしているところを職員さんに見つかり連れ戻されていると連絡がありました。
門の扉にかんぬきも設置したようですが(決まりで鍵をかけることはできない)少し認知が入ったぐらいなので難なく逃げ出せたようです。
そのうち、気が強い一人暮らしが長い叔母なので、自分の思うようにならないとストライキしたり、大声でおこったりするので、施設では面倒を見ることが難しいと連絡がありました。
大声で怒ったり、物を蹴ったり、逃げ出したりするような人はアメリカでは鍵のかかった病院へ入らされることもあるので、早く迎えに来てほしいと・・・・
 
そんなことを言われても・・・・・
 
私も仕事があるので、すぐには行けず十日ほど行くまでにかかりました。
その間にも何回も連絡があり、午前中はおとなしいが、午後から行動が激しくなるので夕食までの何時間か叔母に付きそう人を雇いたいと言われました。これは仕方がないので言うがままにお願いするしかない。
後で、この十日間の請求書を見てびっくり!日本円で10万以上でした。
 
そんな訳で叔母を自宅に引き取り施設探し。
ケアマネジャーさんと何カ所も見学に行って、食事も試食して、本当にすてきなとこばかりでした。
しかし、叔母は、「年をとったらね、老後はね」って・・・・
「いやいや、十分年はとっています、今が老後ですが・・・」と妹と私。
どこも、月の費用が7,000$~10,000$なんですよね。日本だと100万ぐらいかな~?
 
叔母の周りの人たちはみんな結構長生きで90歳前後がゴロゴロいますが、皆さん家族が見ているようです。
みなさん元気で、教会へも家族が連れてきているし、認知のおばあさんも毎週お茶会にも家族が連れてくるし、体の不自由なおばあさんも車いすで家族が連れてどこへでも参加します。
叔母を連れ帰って一週間、不思議なことが起こりました。
叔母の認知が直ったのです。と言うか、軽くなった?
もちろん年相応に物忘れはしますが、ほとんど普通と変わりない状態。
施設ではできないできないと言われていた事、すべてできます。何だったのだろう?
 
お風呂も自分一人ではいるし(はじめは怖くて外で見守っていた)歯磨き、洗顔、着替え、すべて一人でできます。
ベットメーキングも自分でやります、寝る前のガス、電気、戸締まりの点検もパーフェクト。
かと言って、一人暮らしはダメだと認定されたし、車の運転も禁止されたし、困った・・・
 
考えに考え、家族、兄弟と相談して、当分の間、妹と二人で交代で一緒に居てあげることにしました。
 
なぜって?
 
叔母は私たち兄弟が小さい頃からクリスマスにはいつもプレゼントを贈ってくれました。
仕事を引退し、叔父が亡くなってからは、日本によく来てました。初めて日本に来たときアメリカのお土産で缶入りの大きなバームクーヘンを初めて食べた時のおいしさ、今も忘れません。だから、小さい頃からアメリカに叔母さんが居るのは当たり前のことで・・・・・
810
 
父が、叔母のことだけが心配でいつも日本に連れて帰ってくれと頼まれていました。
私とアメリカに叔母に会いに来た二ヶ月後に父は帰らぬ人となりました。先月三回忌を済ませたばかりです。
頑固で我儘で父とそっくりな叔母、こんなに、自分の家が大好きで、アメリカで小さな体で頑張ってきた叔母、叔父が亡くなってからはこの広い家でひとりでさみしかったことでしょう。毎日ドライブへ行って、一人で食事をして、誰かと話したかったのですね。
 
「Peggy叔母さん、
貴方がこの家で暮らすことにしばらく、お付き合いしましょうかね!」

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